住み続けて生まれた大須愛。“ごった煮”の街をこれからも案内していく/愛知県名古屋市・大須商店街「大須案内人」スティーブン・カーターさん【商店街の住人たち】

インタビューと文章: 小野洋平(やじろべえ) 写真:小野 奈那子 

長年、そこに住む人々の暮らしを支えてきた商店街。そんな商店街に店を構える人たちにもまた、それぞれの暮らしや人生がある。
街の移り変わりを眺めてきた商店街の長老。さびれてしまった商店街に活気を呼び戻すべく奮闘する若手。違う土地からやってきて、商店街に新しい風を吹かせる夫婦。
商店街で生きる一人ひとりに、それぞれのドラマがあるはず。本連載では、“商店街の住人”の暮らしや人生に密着するとともに、街への想いを紐解いていく。

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■今回の商店街:大須商店街(愛知県名古屋市)

1612年、大須観音の移転に伴い、門前町として発展した大須。そのなかで大正元年、万松寺の寺領を解放して誕生した「大須商店街」。明治時代以降は劇場、演芸場、映画館などがつくられ、名古屋市内随一の歓楽街へ。戦後、一時はシャッター通りとなるが、1970年代後半には「ラジオセンターアメ横ビル」が誕生し、秋葉原、日本橋(大阪)とともに“日本三大電気街”にまで成長する。現在はオタクの街としての性格を強めながら、庶民的な商店街としての側面を残し続けている。

10代で日本に留学し、20歳で名古屋に移住

大須観音の門前町にあたる「大須商店街」。八つの商店街がアーケードでつながっていて、全長は東西約600m、南北約400m。全部でおよそ1200もの店舗・施設が集まる巨大な商店街だ。あらゆる商品がそろい、「ごった煮」な面白さが感じられる。

近年は町おこしにも積極的で、商店街からさまざまな仕掛けを打っている。例えば、2010年に誕生した、大須を拠点に活動する女性アイドルグループ「OS☆U」。そして、毎週土日に大須の商店街を案内する「大須案内人」。今回、お話を伺ったスティーブン・カーターさんも案内人の1人だ。

大須案内人歴11年のスティーブン・カーターさん

アメリカ出身のカーターさんが大須に通い始めたのは今から35年前。もともと縁もゆかりもなかった街だったが、住み続けるうちにどんどんと愛が膨らんでいったという。そして、11年前からは翻訳の仕事のかたわら、休日に大須案内人を務めるまでになった。カーターさんが、そこまで大須を好きになった理由を聞いてみた。

――カーターさんはアメリカご出身とのことですが、どんな町で育ちましたか?

スティーブン・カーター(以下、カーター):私はアメリカ南西部のニューメキシコ州で生まれました。面積は日本とほぼ同じくらいですが、人口は名古屋と同じ。田舎の町で、ロッキー山脈、ホワイトサンズなどに囲まれた、自然豊かな場所でした。

――初めて日本に来たのはいつですか?

カーター:高校2年生のときです。交換留学生として来日し、札幌に1年間住んでいました。当時は学ランを着て高校に通っていましたよ。もともと、子どものころから外国に興味があり、なるべくアメリカとは異なる文化の国へ行ってみたいと思っていました。オーストラリアやイギリスも交換留学先の候補だったのですが、迷わず日本を選びましたね。高校卒業後はいったんアメリカに帰国しましたが、20歳のときに再び来日しました。

――それは、日本が恋しくなって?

カーター:そうですね。正確には札幌が恋しかったですね。札幌は人も優しいし、食べ物も美味しい。なにより、私は英語以外の言葉をマスターすることが目標だったので、日本語の勉強をもっと続けたかったんです。

――しかし、二度目は札幌ではなく、名古屋に住んだとか。なぜですか?

カーター:本当は札幌に戻りたかったのですが、当時は貧乏で……。名古屋までのチケットしか買えなかったんですよ(笑)。そこで、いったん名古屋でお金を稼いで札幌に移住しようと思っていました。でも、お金が工面できたときには高校時代の友達は大学進学、就職、結婚などでバラバラになってしまい、札幌に戻る理由がなくなってしまったんです。

――それで、そのまま名古屋にとどまったわけですね。当時はどんなお仕事を?

カーター:大須近くのデザイン会社で翻訳者をしていました。自宅も大須まで徒歩圏内だったので、この商店街にはしょっちゅう来ていましたよ。当時の商店街は「ラジオセンターアメ横ビル(現在の第1アメ横ビル)(※1)」の影響で、パソコン用品や電子パーツの専門店、電化製品の販売店が多かったですね。私自身も、もともとコンピュータが好きだったので、昼休みや仕事終わりに大須へ来るのがルーティンでした。お金がなかったのでウィンドウショッピングばかりでしたが、キラキラした街にワクワクしたことを覚えています。

(※1)ラジオセンターアメ横ビル……名古屋市中区大須の商業施設。現在は第1から第3ビルに分かれており、電化製品やパソコン部品のほか、衣料、飲食、ファッションなどのテナントが入居している

ラジオセンターアメ横ビルが誕生した当時の大須商店街

――ちなみに名古屋はグルメタウンですが、食べ物は合いましたか?

カーター:昔から濃い味が好きだったので、食事の壁はなかったです。それに、私の舌はラブラドール並みなので、特に好き嫌いすることもなく、なんでも美味しく食べられました。苦労したのは人間関係。札幌では学校に通っていたので、すぐに友達ができました。しかし、名古屋では上司との付き合い方が難しく、最初の1〜2年はなかなか友達ができず……。だから、そんなときには決まって大須商店街に来て、元気をもらっていましたね。

昨今の大須商店街は、海外の商品を販売する店や外国人が集まる店なども増え、さまざまな国の文化やファッション、グルメに触れることができる「多国籍な街」としても人気に

大須ならではのバカバカしいノリが大好きに

年一回の頻度で更新されている大須商店街のマップ。飲食店からサブカルのお店まで網羅されている

――2010年には「大須案内人」が発足し、翌年からカーターさんも参加されています。どんな経緯だったのでしょうか?

カーター:もともと、商店街とはつながりがありました。1987年にデザイン事務所を独立して大須に事務所を構えたころから商店街に知り合いが増えていって、いつしかお祭りのボランティアスタッフに誘われるようになったんです。興味本位で参加してみたら楽しくて、商店街との距離もより縮まっていきました。以降は大須のお祭りで警備、設営、撤収を担当したり、イベントのお手伝いをするようになって。

そんななか、2010年に「大須案内人(※2)」が発足し、お祭りで知り合った当時の大須案内人のリーダーが「ちょっと研修生として入ってみない?」と誘ってくれました。

(※2)大須案内人……2010年3月に発足。「大須検定」をクリアしたスペシャリストたちによる、大須商店街のガイドボランティア。「ふれあい広場」を拠点に土日の13:00から16:00まで活動。大須のイメージアップやふれあい活動を行っている。なお、個人やグループへのガイドツアーは行っていない

商店街で困っているお客さんには積極的に話しかけ、ガイドを行う。ちなみに英語で外国人に声をかけても「日本で迷うことも冒険だよ」と言われ、ガイドを断られることもあるそう

――昔から大須に通い続けて得た知識が、ここにきて生かされたわけですね。

カーター:それが……実際に案内人を始めてみたら、自分の知識の乏しさに愕然としましたね(笑)。毎日大須にいたので商店街のことは“完全に熟知している”という自負があったのですが、甘かったです。大須商店街は連盟に加盟している店舗だけでも800あり、それ以外を含めると1200店以上もあります。入れ替わりも激しいため、全てをカバーすることは困難です。

――でも、なるべくたくさんのお店を知らないと案内人は務まりませんよね。

カーター:そうなんです。だから、ひたすら商店街を歩いて、なるべく新しい店を覚えるようにしました。新しいお店ってテレビや雑誌などで取材されやすいので、番組や記事が出た週には多くのお客さんが殺到するんです。「テレビで見た、ワッフルのお店はどこ?」って。

しかも、お客さんの記憶が曖昧なときはクイズをやっているような感覚に陥ります(笑)。「和服を着た女将さんがいて、カウンターが7席ぐらいで、看板が黒くて、角にあるお店で……」。そんなヒントを頼りに、頭をフル回転させていますよ。

カーターさんが協力した英語版の商店街マップ。中部国際空港セントレアでも配布していたそう

――もともとは札幌に戻りたかったカーターさんですが、今はそれ以上の大須愛が感じられます。特に、どんなところに惹かれましたか?

カーター:一つはバカバカしいけれど、面白いお祭りが多かったところですね。例えば、2009年には「金の玉ころがし」の障害物レースを行いました。

「ふれあい広場」にアーケードをつくる際、シンボルである招き猫の前に立てられる「金柱」を北側に延びる「新天地通り」と、西側に延びる「東仁王門通り」のどちらに設置するか、「金の玉ころがし」で争ったとのこと

カーター:告知なしの開催だったので、知らない人はもうパニックですよ。まるで、インディージョーンズ(笑)。しかも、道路交通法違反だったみたいで警察にも「2度とやるな」と怒られました。だから、2014年の仁王門通りのアーケード改修工事完了のお祝いでは、金の大玉は転がさずに担いで商店街を練り歩きましたよ。しかも、赤いふんどし姿でね(笑)。当時の様子は、今でもYouTubeで見ることができます。

直径3mの金の大玉を前に祝福を祈り、賛美が捧げられた

――「名古屋人は金が好き」と言いますが、発想が面白いですね。

カーター:大須商店街の人たちって、こういうバカバカしいことが大好きなんですよ。もちろん、私もそこが他の商店街と違って面白いと感じています。

――ほかには、どんなお祭りがありますか?

カーター:代表的なものでいうと、2022年に復活した「大須大道町人祭」。毎年10月に行われ、官製のお祭りである「名古屋まつり」に対抗して、市民のための市民によるお祭りとして始まったそうです。ジャグリングや舞踏、パントマイム、ガマの油売りなどさまざまな芸を間近で見ることができますが、最大のみどころは「おいらん道中」ですね。

江戸時代から大正5年まで、大須に遊郭があった歴史的背景から、祭りの華として毎年「おいらん道中」が行われています。一般公募で選ばれた20名の女性たちが華やかな花魁に扮し、大須の街を練り歩くんです。ちなみに、花魁は高い下駄を履いているため、私は歩くときの支えになる「肩貸し」をしたり、大きな傘を差して後ろを歩く「傘差し」などの役割を担ってきました。

「肩貸し」として花魁に肩を貸すカーターさん

カーター:夏祭りも盛りだくさんですよ。サンバショー&パレード、盆踊りパレード、大須太鼓ショー、阿波踊り、盆踊り大会、花火大会、さらに、今年はeスポーツを野外で開催しました。また「世界コスプレサミット」では、世界40カ国以上から代表のコスプレイヤーが集まり、大須商店街でパレードを行っています。

個人的に印象深かったのは2019年の夏祭りの企画「お化けdeパレード」ですね。商店街が南北に分かれ、南はカッパ、北は鬼に扮して対決するというものです。商店街の天井に巨大なきゅうりがぶら下がったり、鬼の神輿をみんなで担いだり。なにより、お店の人も住民も仮装している姿が最高でした。

カッパに扮したカーターさん。対決は北の鬼チームが勝利

――楽しそう。みんなノリノリで参加しているのがいいですね。

カーター:手づくり感のある、アットホームな雰囲気がそうさせているのかもしれませんね。ノリが良いといえば、先ほど話した官製のお祭りである「名古屋まつり」では、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の三英傑が約600人を従えて名古屋市内を行進するのですが、フィナーレである大須観音に行列が入ってきたら、我々は“大須流”のノリで盛り上げています。

――大須流というと?

カーター:他のエリアでは馬に乗っているため、離れた距離で観衆に見守られています。でも、大須では商店街を歩いてもらって、紙吹雪やクラッカーで祝い、ツーショット写真を撮ったりしているんです。そんなところにも、大須のめちゃくちゃなところが表れている(笑)。ただ、三英傑の人もそんな歓迎ぶりを喜んでくれて、過去には感動して泣いてくれることもあったんです。これこそ、私が虜になった“大須のノリの良さ”なんだと思います。

老舗からサブカルまで網羅する商店街

――商店街でカーターさんがよく利用するお店はありますか?

カーター:もちろん、私は麺類が大好物で、大好きな冷やし中華やラーメン、焼きそば、お蕎麦、うどんなどをよく食べていますよ。なかでも、よく行くのが「富士宮やきそば 大須あじよし」ですね。

「もっちり食感の麺とソースの相性がたまらない」とカーターさん

ここではハイボールがマスト

――お酒も好きなんですね。商店街のお店で飲むこともありますか?

カーター:21時に商店街の電気が消灯したあとも、路地や雑居ビルには深夜まで営業している、知る人ぞ知る飲み屋があるんです。私のオススメは「焼鳥つるこう」。昨夜もここで一人飲みしていました。

夜は焼き鳥屋、昼はカレーを販売している。ちなみにカーターさんの好きな部位は砂肝

――歴史ある商店街だけに、古くからやっているお店も多そうですね。

カーター:そうですね。なかには300年以上も続く老舗もありますよ。ちなみに、いま私が頭に巻いている手ぬぐいは、大正5年創業の「三井屋」で購入しています。

呉服とブライダル衣装を取り扱う「三井屋」。和装小物の販売、ブライダル衣装のレンタルなども行う

カーター:また、大須はファッションの街でもあります。老若男女問わず、安価な洋服やオシャレな小物、古着を求める人がたくさん訪れています。私も「大須名物屋」で、よく古着を買っていますよ。

この日もアロハシャツを購入

カーター:ほかにも、さまざまな業種のお店があります。正直、お気に入りのお店が多すぎて、案内人としてどこを紹介するか迷ってしまいますね。年齢・性別・国籍を問わず、メジャーなものからアンダーグラウンドなものまで、さまざまな文化を取り入れてきたからこそ、ここまで多様な商店街になったのだと思います。

あと、大須といえば「オタク街」としての側面も強いため、最近はコンセプトカフェも増えました。私も休日にはよくメイドカフェに足を運んでいます。そんな「ごった煮」の雰囲気こそ、大須の最大の魅力ですね。

カーターさん行きつけの「黒猫のメイドカフェ 廃墟のエヴァレット」。たまにチェキ撮影をしているそう

――まさに「ごった煮」ですね。

カーター:濃厚ですよね。かと思えば、近くに癒やしのスポットもあります。私が好きなのは、七寺こと「長福寺」です。境内に入ると、片隅にポツンと大仏様が鎮座していて、それを見ていると心が和むんですよね。特に、春になるとモクレンの花に囲まれ、蝶々のように吸い込まれてしまいます。

カーターさんが春に撮影。台座の上で静かに座禅を組む大仏様をよくSNSにアップしている

カーター:いろいろ紹介しましたが、最も頻繁に訪れるのは大須案内人の本部が設営されている「ふれあい広場」です。ここはプライベートでも仕事終わりに顔を出して、コンビニで買ったお酒を飲みながら過ごしています。そして、大須に集まる人、お店、街をぼんやりと眺めるのが日課なんです。

時々、案内人同士でミーティングを行い、新店舗などの情報をこまめにインプットしている

この先もずっと大須の空気感を残したい

――カーターさんは長く大須に住んでいますが、街の変化などは感じますか?

カーター:ここ10〜20年で随分と雰囲気が変わってきたと思います。昭和30年代初めに商店街に屋根ができ、きれいに舗装をされたことで、商店街全体が明るくなったように感じますね。聞くところによると、昭和のころ、大須は「怖い場所」だったみたい。でも、今は安全で洗練された場所になっていると思いますよ。

また、今はマンションも増え、新しく移り住んでくる人も多いです。私の今の目標は、新しく大須に来てくれた人にもお祭りやイベントに参加してもらうこと。歴史のある商店街だと、新しい人はハードルが高いと感じるかもしれません。でも、大須は外国人の私でも気軽に入れるほどオープンです。ぜひとも一緒にお祭りでばか騒ぎし、大須の良さを分かち合いたいですね。

商店街の周りにはマンションも多い

――今後、どんな街になってほしいですか?

カーター:今の延長で良いと思います。私はこの「ごった煮」な空気感に惚れて、今まで住んできました。この魅力を持続していけば、同じように住む人が増えると思いますよ。

できれば今後は少しずつ、商店街での活動を若い人に引き継いでいってもらいたいと思っています。そして、大須ならではの空気感をいつまでも残し続けてほしいですね。とはいえ、私もまだまだ引退するつもりはありません。身体が動くうちは、大須の案内人も続けていきますよ。

大須商店街
osu.nagoya

著者: 小野洋平(やじろべえ)

 小野洋平(やじろべえ)

1991年生まれ。編集プロダクション「やじろべえ」所属。服飾大学を出るも服がつくれず、ライター・編集者を志す。自身のサイト、小野便利屋も運営。Twitter:@onoberkon 50歳までにしたい100のコト

編集:榎並 紀行(やじろべえ)

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