
音楽プロデューサー、トラックメーカー、DJとして活動するtofubeatsさん。出身は兵庫県神戸市。1980年代から90年代にかけて開発された西神ニュータウンで10代までを過ごし、メジャーデビュー後の20代前半から中盤までは神戸の中心部で音楽をつくり続けました。
育った街を「つまらない」と感じていた思春期に音楽と出会い、曲づくりのために自分の内面を掘り起こす過程で、地元について深く考えるようになったそう。また、20代の最も創作意欲にあふれていた時期に、神戸の穏やかな環境で楽曲制作に没頭できたことが自身の財産になったと振り返ります。
神戸で過ごした日々について、tofubeatsさんに聞きました。
「地元不在感」と「代替可能な街」。神戸のニュータウン出身を“強み”に変えるまで
── tofubeatsさんは兵庫県神戸市出身です。幼少期から10代後半までを過ごした「西神ニュータウン」はどんな街でしたか?

tofubeatsさん(以下、敬称略):西神ニュータウンは官民協働で開発された、いわゆる新興住宅地です。市営地下鉄(西神・山手線)の駅ごとにショッピングモールがあって、駅前以外は住宅地っていう。強烈に印象に残る何かがあるという街ではなかったですね。
僕が住んでいたエリアは娯楽も少なくて、子どもの頃の思い出の場所といったら公園とコンビニとレンタルビデオ屋の3本柱でした。レンタルビデオ屋は「イタリ屋」という名前のローカルチェーン。ヒットチャートに入るような曲のCDはしっかり押さえていて不満はなかったんですけど、後からできたTSUTAYAのほうが明らかに品ぞろえはよかったです。
── 住み心地はよさそうですが、刺激の多い環境ではなかった。
tofubeats:言葉を選ばずに言うと、当時は「クソつまらない」と思っていました。中学受験をさせてもらったのも、地元を少しでも離れたかったからです。
ただ、中学生になって音楽をつくり始めてから、ニュータウン出身であることを強みにできないとダメなんじゃないか?みたいな思いが芽生えてきました。ヒップホップから入った身としては、自分の中の「地元不在感」みたいなものがわりと致命的に感じられてしまって。しかも、通っていた中学・高校は神戸市ではなく西宮市ですし、なおさら地元と呼べる要素がない。
自分にとって地元って何だろうと考えたら、やはりニュータウンくらいしか思いつかなかったんですよね。それから改めて、自分が住む街のことを考えるようになりました。新しい街なので開発された経緯などの文献が充実していて、調べてみると結構おもしろいし、ロマンを感じるところもあった。これを自分のインスピレーションの源泉にできないだろうかと思っていました。
── ルーツの街を掘り下げることは、音楽をつくるうえで欠かせない作業だったと。
tofubeats:そうですね。自分が育ったのは本当にどこにでもある街で、代替可能なものしか受け取ってこなかったんですけど、音楽をつくるのって真逆のことで、唯一無二を生み出す作業じゃないですか。一部の天才を除き、みんなと違うものを見て、違うものを食べて育ったからこそつくれる音楽みたいなものがあるとすれば、普通の街に生まれた人は夢を持てなさすぎるじゃないかと。
僕自身が夢を抱きたい気持ちもあって、自分の出自を逆に強みにすることを考えるようになりました。なので、今もめっちゃ好きかと言われたらそうでもないんですけど、ニュータウンに対する理解度は深いと思います。

DJ中にあめを配った高校時代。インターネットと音楽が、少年の世界を広げた
── 中学生になってから音楽をつくり始めたということですが、きっかけはどんなことでしたか?
tofubeats:中学でできた友達が、お兄ちゃんの影響で音楽に詳しかったんです。それまではイタリ屋で借りられるヒットソングしか知らなかったけど、彼からいろんな曲を教えてもらって聴くようになりましたね。
同時期に我が家にもインターネットがやってきて、ネットで音楽をつくる方法を調べていたら「これ、俺にもできるんじゃないか」と。かなり安易ですけど(笑)。親に機材を買ってもらい、当時よく聴いていた日本語ラップ用のバックトラック(脚注:ボーカルや特定の楽器を抜いた、曲の伴奏部分だけを録音した音源。バッキングトラックとも)をつくり始めました。最初の頃は、つくった曲をネットの掲示板にアップロードするのがモチベーションになっていましたね。
── 聴いてくれた人の反応がうれしかった?
tofubeats:最初は何の反応もなかったですけどね。たまにリアクションがあっても特に褒められるわけではなく。ただ、そのうち年上の「アドバイス大学生」みたいな人が出てきて、MSNメッセンジャーでやりとりするようになりました。
中学のうちはオンライン上での交流だけでしたが、高校生になるとそれまで親から禁止されていたオフ会が解禁されて、リアルでも会うようになっていきました。

── インターネットを通じていろんな人と知り合い、その出会いをきっかけに自分の世界が広がっていったと。高校生の頃には、すでにライブハウスにも出演されていたそうですね。
tofubeats:高1で京都のライブハウスにDJとして出たり、東京のDJイベントに出演させてもらったりしていました。夜行バスに乗り、一人で東京に行って。親も心配だったはずなんですけど、もう高校生ということで「口出しせんとこう」と思ってくれたんでしょうね。
当時は、かつて神戸の三宮にあったMersey Beatというライブハウスによく出ていましたね。同時期に出演していた、のちの「黒猫チェルシー」や「女王蜂」がお客さんを盛り上げているなか、僕がDJをやると転換のBGMだと思われてみんな床に座っちゃうんですよ。
どうしていいか分からず、DJをしつつステージ上からあめやクッキーを投げたりしていました。せめてそれを食べている間だけは、聴いてくれと(笑)。
── そうやって場数を踏みつつ、音楽制作の仕事なども始めるようになるんですよね。
tofubeats:高校3年生からソニーの育成部門みたいな、デビュー予備軍の若手が所属するところと契約して、大学に通いながら副業で音楽制作の仕事をやっていました。副業といっても月10万円いくかいかないかくらいだったので、これで食っていくのは厳しいと思っていましたし、大学卒業後は就職するつもりでいましたけどね。
ただ、そうこうしているうちに、同じ育成部門にいた人たちがどんどんデビューしていくわけです。自分だけ取り残されたようで、デビューしたいという気持ちが膨らんでいきました。
結局、ソニーではデビューできずに育成部門からも抜けるんですけど、その後にオノマトペ大臣と一緒につくった『水星』がネット上で少しずつ話題になって、念願のレコードも出せることになりました。CDではなく、レコード。自分の曲がレコードになるのは、夢の一つだったんです。

なぜ東京に行かなかった? 神戸は「心の声」を確認できる“ちょうどいい”場所
── 高校卒業後、さらにはメジャーデビュー後もすぐには上京せず、しばらく神戸で一人暮らしをしながら音楽活動を続けています。チャンスが多い東京ではなく、神戸に留まった理由は何でしょうか?
tofubeats:西宮の大学に通っていたというのもありますが、変な意地もありましたね。先ほども言ったように当時はソニーの育成部門にいて、東京に住んでいる同世代の仲間はどんどんチャンスを掴んでいくわけです。
もちろん、みんな実力があるから仕事を得て、デビューを勝ち取っているわけですけど、当時はそれを認められなかった。「実力は変わらないのに、東京にいるあいつらだけがイベントに呼ばれたりして恵まれている」みたいに、東京にいる同世代の実力者全員を妬んでいました。

だからこそ、逆に「俺は絶対に神戸を出てたまるか!」みたいになっちゃったんですよね。強がりもあったし、そのまま地方にいればうまくいかないことを環境のせいにできるじゃないですか。そうやって、どこか自分を守っているところもあったんだと思います。
ただ、そんなふうに思っていたのはデビュー直後くらいまでで、徐々に神戸に住んでいることを前向きに捉えられるようになりましたけどね。
── なぜ心境が変わったのですか?
tofubeats:やっぱり神戸っていいところだなと、素直に思えるようになったことが大きいですね。22歳、23歳くらいの頃は東京まで頻繁に通っていたから、余計に神戸のよさが見えてきたというか。ゆっくり音楽をつくるには、この上ない環境だと気づきました。
神戸って音楽の仕事はそんなにないですし、すごく賑わっているかといったらそうでもない。だけど、生活するのには困らないし、ほどほどに刺激もある。ちょうどいいんですよね。
最近やっと言語化できるようになってきたんですけど、音楽をつくるうえで一番大事なのは「自分の思っていることをちゃんと確認すること」だと思っていて。
最近はふざけて「心の声」って言ったりしていますが、せわしなく動きすぎていても、逆にレイドバック(のんびり)しすぎていても、心の声を確認できなくなって、作品がつくれなくなる。そういう意味では、その時に住んでいた神戸の中心部のちょうどよさは、創作に適した環境だったように思います。
── よい時期によい環境で曲づくりに没頭できたことが、今につながっていると思いますか?
tofubeats:それは間違いなく思います。クリエイターとして最も集中力が高い20代の時期を神戸で過ごしたことで、じっくり音楽に向き合えましたから。今は東京が拠点でこっちのよい部分もたくさん感じていますが、「もっと早く東京に来ればよかった」とは全く思わないですね。

── ちなみに、その頃に暮らしていたのはどんな街、どんな家でしたか?
tofubeats:メジャーデビューが決まってから住んだのは神戸市中央区の下山手というところで、兵庫県庁の斜向かいにあったマンションです。50㎡くらいの広いワンフロアの部屋で、専用のバルコニーもついているのに家賃は8万5000円でした。山手幹線という主要道路沿いだったし、上階の部屋も空室だったので音も出せるし。今でも住みたいくらい、いい物件でしたよ。
下山手を選んだ理由は三宮駅から歩いて帰れることと、漫画家の西村しのぶ先生の『下山手ドレス』というエッセイが好きで、そこに出てくる下山手での暮らしに憧れがあって。1988年から連載がスタートして今も続いているんですけど、初期のエッセイで描かれていた震災前の神戸のライフスタイルと、そこにいる自分を重ね合わせていい気分になっていましたね。
── 当時の生活のルーティーンみたいなものはありましたか?
tofubeats:散歩は日課でしたね。毎日1時間くらい歩いていました。神戸と東京を比べた時、明らかに神戸に分があるなと感じたのは散歩の心地よさです。海も山もあり、坂も多いから歩いているうちに景色がどんどん変わっていく。平日の昼間は出歩いている人も少ない。なんなら2時間でも3時間でも散歩できるくらい、自分にとっては「歩きたくなる街」でした。
── 特にお気に入りだった散歩ルートを教えてください。
tofubeats:三宮の市街地からだと、東西どっちに向かってもおもしろいんですよ。東方面は兵庫県立美術館や横尾忠則美術館があるあたりまで、西方面は海沿いを歩いてどこまでも行けます。
途中に程よく商業施設もありますし、人工島があったり淡路島が見えてきたり。とにかく風光明媚で、うろうろしているだけで心が満たされるような感覚がありました。それほど心地よい場所だから、自分の意思で歩いていたというよりも、“歩かされていた”のかもしれないですね。

神戸で得た「人生の許容力」。選んだ街を好きになれたほうが、きっと楽しい
── 今は東京にお住まいですが、いつか神戸に帰りたいと思いますか?あるいは、全く別の街に住みたいと思うことはありますか?
tofubeats:今はまだ東京を離れることは考えていません。なんだかんだ言っても、この仕事をするうえで東京にいる利点は少なくないので。ただ、東京の中心部って「やる気がある人」が集まっているので、自分のなかのギラギラした気持ちが失われてきたら、ここにはいられないと感じるかもしれません。
東京や神戸以外で住んでみたい場所はたくさんありますけどね。先週行った仙台もよかったですし、石川県の金沢もずっと好きな街ですし。
でも、難しいのは住むところって自分一人で決められることでもなくて、大げさに言えば運命に身を任せるしかない。もちろん神戸や、他の落ち着いた街に住みたい気持ちはありますけど、逆にもっと都心のほうへ突入していく可能性もないとは言えません。神のみぞ知るというところですね。
── ただ、これまでのお話を聞いていると、tofubeatsさんはどこに住んだとしてもその選択を正解にできる人のように感じます。
tofubeats:そう考えたほうがいいですよね。経緯はどうあれ、選んだ街を好きになれたほうが人生を楽しめると思うので。僕自身も神戸にいた時は、東京をひねくれた目で見ていました。
でも、実際に住んでこっちの人たちの優しさに触れて、東京のことを好きになれた。結局は住んでみないと分からないし、自分にとって未知のエリアにあえて飛び込んでいくのもいいかもしれません。それが結果的に、人生の許容力を高めることにつながるんじゃないかと思います。

お話を伺った人:tofubeats(トーフビーツ)
1990年生まれの音楽プロデューサー・DJ。2007年頃よりtofubeatsとしての活動をスタート。2013年に「水星 feat.オノマトペ大臣」を収録した自主制作アルバム「lost decade」をリリース。同年、森高千里をゲストボーカルに迎えた「Don't Stop The Music feat.森高千里」でワーナーミュージック・ジャパンからメジャーデビュー。その後、6枚のフルアルバムの他多数の音源をリリース。ソロでの楽曲リリースやDJ・ライブ活動はじめ、さまざまなアーティストのプロデュース・客演、映画・ドラマ・CM等への楽曲提供から書籍の出版まで音楽を軸に多岐にわたる活動を続けている。最新作はTBSラジオ「アフター6ジャンクション」内で急遽スタートさせたラジオドラマ「寿司スナイパーオカミ」のサウンドトラック『寿司スナイパーオカミ Original Sound Tracks』。収録曲「心のターゲット」のMVはスタジオ石が監督した。今年10月から11月にかけては、全国5都市(6公演)をめぐるジャパンツアー「tofubeats JAPAN TOUR 2025」を開催。2025年、主宰レーベル/マネジメント会社HIHATTは10周年を迎える。
寿司スナイパーオカミ Original Sound Tracks:https://orcd.co/sushisniperokami
tofubeats - 心のターゲット(MV):https://youtu.be/uflfGpFWAAM?si=8Bqf3ZjGhfTPvrc5
聞き手:榎並紀行(やじろべえ)(えなみ のりゆき)

編集者・ライター。水道橋の編集プロダクション「やじろべえ」代表。「SUUMO」をはじめとする住まい・暮らし系のメディア、グルメ、旅行、ビジネス、マネー系の取材記事・インタビュー記事などを手掛けます。
X(旧Twitter): @noriyukienami
WEBサイト: 50歳までにしたい100のコト
編集:はてな編集部
撮影:小野奈那子
