神戸・北野のワインショップで満月の夜に世界がぐんと動き出した|文・能勢奈那

著者:能勢 奈那

1995年生まれ。兵庫県在住のフリーライター
人や動物、自然の言葉にならない想いをすくい上げ、確かな言葉に変えて世の中に届けることがライフワークです。分かりやすさに偏らない、想像力溢れる世界にすることが夢。2022年に「一般社団法人taru」を立ち上げ、老子の「足るを知る」という言葉の中に現代社会を豊かに生き抜くヒントを見出しながら、答えのないことに思考を巡らせる場所をつくっています。年刊紙制作中。
 
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「こんなはずじゃなかったのに……」

4年前。「言葉という道具を使って、社会をもっとよくしたい」という意気込みだけを携え、私は会社を辞めて物書きとしての人生を歩き始めた。

だけれど、「自分がこの世界に残したい言葉を書く」ことと「お金を稼ぐ」ことが、なかなかつながらない。誰の心にも留まることなく上滑りしていく言葉たちを、ただ生活していくためだけに書き続けた。分かりやすく話題性があって、キャッチーなこと。それが求められている現実。

私が残したいのは、もっともっと弱い文脈で、答えのないことなのに。広く沢山の人に届く言葉ではなかったとしても、今この社会で苦しい想いをしている誰かの心がほんの少し軽くなるような言葉。社会に蔓延るあらゆる課題に対して、自分にはなにができるかを考えるきっかけになるような言葉。どうしたらそんなことをライフワークにできるんだろう。

進むべき道を見出せないまま、悶々と1年が過ぎたある日。
東京での出張取材を終え、地元・神戸へと向かう新幹線に乗り込んだ瞬間、コップの擦り切りまで溜まっていた水が突然溢れ出すように、涙がとめどなく頬を伝った。体力的にも精神的にも疲れ切っていたのだと思う。だけれど、今日はこのまま家に帰りたくはない。とにかく気分を変えなければ、もう明日から前に進めないような気がした。とはいえ、普段からあまり社交的でない私には、こんな夜更けに友人の家に突撃する勇気はない。

「どこか行く場所はないか……」

すがる思いで開いたインスタグラムのフィードの一番上に出てきた「満月バール」の文字。何度か訪れたことのあるナチュラルワインショップ「Viva vin VIVANT」が、満月の夜にワインを楽しむ月一回のイベントを開催している日だった。なんだか呼ばれているような気がした。ここに行けばなにかが変わるかもしれないと、本気でそう思った。

新神戸駅に到着したとき、チラリと見上げた時計はすでに22時を過ぎていた。
「Viva vin VIVANT」があるのは神戸の中心地・三宮から山側へと15分ほど坂道を上った北野エリアだ。


浅川沿いの道。サイクリングロードにもなっている。のどかでしかない

北野は明治時代に始まった外国人居住地としての歴史が色濃く残っていて、今でも多文化共生のまちとして知られている。坂を上れば上るほどに、アジアや中東、ヨーロッパなど各国の味が楽しめる飲食店が軒を連ね、外国人の姿も増える。ワインショップを目掛けてズンズンと坂を上っている途中で、ふと窓越しに目が合ったインド料理屋の店員(おそらくインド人)が、にっこりと笑ってくれて、なんだか心が救われた。どうしようもなく落ち込んでいても、とても些細で小さなことに私はいつも生かされている。

平日だというのに、ワインショップはとても賑わっていた。疲れた心とお店に広がる楽しい雰囲気にはかなりのギャップがあったけれど、不思議と場違いな気はしなかった。私が東京からの仕事帰りだと言うと、その場にいた名前も知らない人たちが皆、「お疲れさま」と声をかけてくれる。店員さんは、ワインだけでなく夜ごはんを食べ損ねた私のためにパスタまでこしらえてくれた。
落ち込んでいた気持ちがなんとなく伝わったのか、賑わった店内ではなく、「ゆっくりして行ってね」と誰もいない店先に置かれたテーブルに案内される。なんてあたたかいんだろう。あの日食べたバジルが香るレモンパスタの味はきっと生涯忘れないと思う。

新幹線に乗っていたときより落ち着いた心で、ぼんやりとこの先のことを考え始める。「そもそも私は物書きには向いていないのか」「もっと違う道を模索したほうがいいのか」

すると突然、私の目の前に自転車が止まったのが見えた。

「あれ? 久しぶり! そんな浮かない顔してどうしたの?」

声のする方へ顔を上げると、一度会ったきり、長く顔を合わせていなかった友人が立っていた。

「え!? なんでいるの?」

聞けば、この店のすぐ近くに住んでいて、仕事の帰りにたまたま通りかかったという。今振り返ると、大袈裟ではなくこれは奇跡の出会いだった。

それから一緒にワインを飲みながら、ずっと誰にも言えなかったモヤモヤを打ち明けた。多分全然まとまらない言葉だったけれど、彼は時折大きく頷きながら最後まで静かに話を聞いてくれた。そして私にこう言った。「やりたいことがあるなら、書きたいことがあるなら、どこかでやろうとせずに自分でやっちゃえばいいんだよ!」と。それはそれはとても軽やかに。

ああ、そうか。待っていないで自分でつくればいいのか。
彼がかけてくれたそのたった一言が、心にかかっていた霧を薄めてくれた。さらには、世界の見方や叶えたい未来の姿が似ていた私たち。迷いなく「一緒にやろうよ!」と言うのだった。
幼い頃から心配性で、起きてもいないことを不安に思っては、始めの一歩をいつも踏み出せない私を、ヒョイっと何歩も先に連れて行ってくれるような気がした。

あれよあれよという間に話は進み、気づけばもう一人のメンバーが加わって、数ヶ月後には会社まで設立してしまうというスピード感。「動き出せば大抵のことは解決する」とはよく言ったものだ。

この社会で人も自然も動物も、心地よく生きていくために、老子の「足るを知る」という言葉にヒントを見出しながら、答えのないことを探求し続ける会社だ。年一回のマガジン発行とラジオでの発信を行っている。

あれから3年。ラジオの収録を行っているのは、北野にある友人宅だ。私は毎週、あの日絶望感を抱えながら上った坂道を、軽い足取りで上っていく。笑顔を振り撒いてくれたインド料理屋の店員は、もうすっかり顔馴染みで、今では店の前を通るたびに手まで振ってくれて嬉しい。

このまちを歩いていると、沢山の人種の人とすれ違うのが本当に心地いい。耳に入ってくる言語もさまざまだ。友人の家のすぐ近くには「神戸ムスリムモスク」があり、ときどきコーラン(イスラム教の聖典)の詠唱が聞こえてくる。初めて聴いたときは聞き馴染みがなくて違和感があったのに、昨年、旅行で初めてトルコを訪れたとき、街中に響き渡るコーランの詠唱を聞いて、なんとも言えない安心感とホーム感を感じたのには、思わず笑ってしまった。

島国の日本で過ごしていると、知らぬ間に見ている世界も価値観も小さくなってしまう。それでも北野に来るたびに、世界は広く、私はまだなにも知らなくて、それでいてなんでも出来るという気持ちになってくるのだ。私にとって、「いいまち」や「住みたいまち」の最重要要素は、人種もバックグラウンドも問わず、様々な人をごちゃ混ぜに受け入れる土壌があるかどうかに変わった。

いつも自分の小ささと可能性を教えてくれるまち、それが北野だ。
私の世界はここからぐんと広がり、日々色々なことに悩みながらも、いま、自分が心から残したいと思う言葉を書きながら生活をしている。

あの日あの坂を上らなければ、今の私はなかったかもしれない。ここで出会った人々、景色が、私の人生を変えた。もしあなたがなにかに迷っているのなら、北野に足を踏み入れてみてほしい。もしかすると必要な答えや出会いが見つかるかもしれない。

私はこれからも、このまちとともに生きながら、誰かの心に小さな光をともせるような言葉を紡ぎ続けたい。自分の小ささを受け入れ、その中に秘められた無限の可能性を信じて。

著: 能勢奈那

編集:ツドイ

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