静岡県湖西市で生まれ育った金子さん。大学の進学先に選んだのは、静岡理工科大学。県内初の建築学科が立ち上がるタイミングで、一期生として入学した。
「小さい頃からものづくりが好きで、なりたい仕事は何かと聞かれたら“建築家”と答えていました。でもそのときはただ、ものをつくるのが楽しくて、知っている職業から漠然と選んでいたような感じでした。その気持ちのまま大学も選びました」
転機になったのは、大学1年のときの田井幹夫准教授との出会いだ。田井准教授は、横浜市(神奈川県)で建築設計事務所を営みながら教壇にも立つ人だった。
「その先生が、私の“枠”を外してくれた存在でした。常識の枠にとらわれていた私に対して、『そんな考え方もあるんだ』と思わせてくれる言葉をたくさんくれる人で。先生にすすめられて、大学2年の夏に初めて“建築を見に行く旅”に出たんです」
当時の金子さんは、有名建築の名前もほとんど知らなかった。そこで先生にお願いし、横浜や東京周辺の建築を巡る「おすすめリスト」をつくってもらったという。
「リストの通りに建築を巡ってみたら、『人間ってこんなものまでつくれるんだ』と衝撃を受けました。写真で見るのとは全く違う、“空間としての建築”の面白さに一気にハマっていきました」
この体験をきっかけに、国内各地の建築を訪ねる旅が始まる。
その後も雑誌やWebやSNSで気になった建築を見つけては、少しずつ、しかし確実に「行きたい場所」のリストが増えていった。

恩師である田井幹夫准教授との大学時代のディスカッション風景(画像提供/静岡理工科大学)
大学3年のとき、コロナ禍で自由な移動が難しくなった。
現地に行けない代わりに、金子さんはGoogleマップ上に「行きたい建築」のピンを打ち続けた。その数は、いつの間にか1300件を超えていたという。
「ここにも行ってみたい、あそこも気になる、そんな気持ちをマップにためていくしかない時期でした。その反動もあって、コロナが落ち着いて移動しやすくなったタイミングで、一気に周り始めた感じです」
このころには、ただ建築を見るだけでなく、旅にいくつかのテーマが重なり始めていた。
ひとつは、 研究のためのフィールドワークとしての旅。建築を図面や文献だけでなく、暮らしの背景ごと体験しながら考えたいと思っていた。
もうひとつは、「旅暮らし」を試してみたいという思いだ。特定の場所に固定されず、興味のある土地を移動しながら旅をするように暮らす。その中で見える建築や街の姿を、暮らしの視点から捉え直したかった。
そしてもうひとつが、「就職活動」としての旅だった。
「就活サイトに並ぶ会社名とキャッチコピーだけでは、全然イメージが湧かなかったんです。ランキングの1位、2位、3位って何の順位なんだろう、とか。だったらその土地に行って、実際に働いている人に会って、その会社がある街の雰囲気も一緒に感じてみることにしました。条件ではなく、その場の“温度感”で『ここで働きたい』と思える場所を探したいなと」
大学2年の後半から旅を本格的に始め、コロナ禍による中断期間を挟みながら、大学院修了翌年の2月に入社するまで。約3年半のあいだ、日本全国を周り続けた。
その間に「気になる会社」を訪ねたのは10数社。うち7社ほどの設計事務所・アトリエ系事務所では、それぞれ数週間ほどインターンとして実際に働かせてもらった。
「ちゃんとしたエントリーシートを書いた記憶はあまりなくて(笑)。旅をしながら気になった設計事務所に『遊びに行ってもいいですか?』と連絡して、1カ月ぐらい現場を手伝わせてもらう、みたいな形でした」
周囲の友人たちは、就活サイトを使ってエントリーを進めていた。
一期生だったため、相談できる先輩もほぼいない。そんな環境の中で、金子さんは「自分なりの就活」を淡々と続けていった。

旅先で立ち寄った「奈良井宿」(画像提供/金子大海さん)
3年半の旅の中で、特に大きな転機になったのが、徳島県三好市・祖谷(いや)との出会いだった。
今も月に一度のペースで通い続けている場所だという。
「祖谷は、私にとって“建築の旅を終えた場所”なんです」
金子さんは、祖谷の集落に約1カ月滞在し、斜面地の暮らしをじっくりと観察した。
切り立った地形がどうやってできたのか。霧が立ちのぼりやすい気候風土。水はけのよい傾斜地の農地でどう作物を育て、厳しい冬を越すために何をどう蓄えるのか。
「旅の中で、有名な建築家の建物が、必ずしも地元の人に愛されているわけではない場面を見ました。じゃあ、地元の人が本当に大切にしているものって何だろうと考えたときに、建築だけ見ていても答えにはたどり着けないなと」
草の生え方、風の抜け方、光の入り方、そこに集まる生き物たち。そうした「土地の恵み」を受け取る営みが折り重なった先に、ようやく建築が立ち上がってくる。ラフスケッチの柔らかい線が、少しずつ濃くなっていくように、ソフトな営みがハードとしての建築に変わっていく──。
「建築は家を建てることだけでなく、建築物を通じて社会を支えたり、ときに変えていく存在。だからこそ建築が先にあって暮らしがつくられるのではなく、暮らしの積み重ねの中で建築として現れてくる。祖谷での滞在を通じて、そんな感覚を強く持つようになりました。だから、私もその土地で生きている1人にならない限り、本当の意味で建築はつくれないんじゃないか、と」
この気づきは、就職先を「自分が暮らしたい街はどこか」で決める大きなきっかけにもなった。

祖谷の集落の写真(画像提供/金子大海さん)
旅の途中で訪れた都会について、金子さんは「とても素敵な街だ」と話す。
「都会、特に東京には魅力的な建築や文化がたくさんあります。ただ、巨大な社会や経済、政治のシステムを動かすために、大きな枠組みの中で動いているように感じました。そうなると、ものづくりをする上での身体感覚が薄れてしまう部分があるのかなと」
自分がやりたいのは、国や大都市のスケールを動かす仕事ではない。もっと、自分の身体感覚にフィットするスケールで、人の暮らしと建築の関係を見つめていきたい。
「身体スケールに合った場所で、ソフトとハードの関係を丁寧に積み重ねていきたいと思ったとき、私には東京よりも地方のほうが合っていると感じました」
こうして、「地方で働き暮らす」という方向性が、少しずつ輪郭を帯びていった。
祖谷への訪問前夜、金子さんは香川県高松市のゲストハウスに宿泊した。
そこで出会ったオーナーとの会話が、現在働いている株式会社しわく堂(三豊市)との縁につながっていく。
「オーナーさんが『三豊に、こんな思いで建築に取り組んでいる人がいるよ』と、今の会社の代表を紹介してくれたんです。その場で連絡を取ってくれて、『1カ月後に祖谷からそちらに向かうので、お会いできませんか』とお願いしました」
紹介してもらったのが、三豊市を拠点に建築設計や場づくりを手がける株式会社しわく堂。
会社のコンセプトは「あったらイイナを形にする」だ。
「“あったらいいな”は、建築物という『箱』を作ることだけが目的ではありません。住まい手自身もまだ言葉にできていない潜在的な願望や、生活の中のちょっとした違和感をすくい上げ、よりよい暮らしの形へとつなげることができる。冬の寒さがつらい、といった、ささいなことでもいいんです。まずは日常の不調も気軽に相談できる“暮らしのまち医者”のような仕事の在り方に惹かれました」
カテゴリーや肩書きにとらわれすぎず、「本質はどこにあるのか」を一緒に探しながら形にしていくスタンス。
祖谷での気づきと、しわく堂の姿勢が、自分の中でピタリと重なった。
「この会社なら、私が大事にしたい建築のあり方を実践していけるかもしれない。そう感じて、『ここで働きたいな』という感覚は、かなりはっきりしていました」

「しわく堂」代表・平宅正人さんとの1枚(画像提供/しわく堂)
三豊への移住を後押ししたのは、会社との出会いだけではない。
金子さんには、四国への移住に影響を与えた「3人のキーパーソン」がいる。
1人目は、祖谷での暮らしや集落の成り立ちを教えてくれた地元の方。
2人目が、しわく堂の代表。
そして3人目が、現在暮らしているCafé de flots(三豊市)のオーナーだという。
「そのカフェでは、地元のいろんな職業・年齢の人達が、長いテーブルを囲んでご飯を食べながら話す“団欒(だんらん)”の場が開かれていて。毎回同じ顔ぶれではなく、その時々のテーマに関心を持った人たちが集まって、和やかな雰囲気の中で談笑している。その光景が、妙にしっくりきたんです」
金子さんは、その場を「小さな社会、小さな経済、小さな政治が立ち上がる場所」と表現する。
「3人集まれば、そこには小さな社会が生まれる。物のやり取りがあれば小さな経済が動き、約束ごとがあれば小さな政治がある。国レベルの大きな話ではなく、そういう“テーブルのサイズ”から世界が立ち上がっていく感覚が、私の中ではとても腑に落ちました」
祖谷で感じた「建築だけ見ていても建築はつくれない」という感覚。
その延長線上で、日々の対話や食卓を出発点にして建築が立ち現れてくる姿を、三豊のカフェで感じた。
「団欒のテーブルで印象的だったのは、内容よりも場の雰囲気でした。地域の中で共に暮らし、互いに助け合い、生きている。ここでは『仕事も暮らしの延長にある』という感覚が、日常になっていました。私もこの距離感の中で、身の丈の営みを仲間と一緒につくっていきたいと思ったんです」
こうして、「日本のどこかでこういう仕事をしたい」と描いていたイメージが、「三豊でこの人たちとやりたい」という具体的な風景に変わっていく。
金子さんは、三豊を「旅の終着点」と決め、移住先として選んだ。

三豊市にあるカフェのオーナーである浪越さんとの1枚(画像提供/金子大海さん)

地域住民の方達とひらく”団欒”の場(画像提供/金子大海さん)
入社から1年目は、必ずしも順風満帆に街へ溶け込めたわけではない。
「最初の1年は、正直あまり街に入り込めませんでした。まだ自分の立ち位置も分からなかったので。ただ、三豊にはもともと受け入れてくれる気質があると感じていて、少しずつ関わりが増えていきました」
いまでは、移住してから団欒の場や市民大学のようなさまざまなコミュニティのイベントを通して、少しずつ関わりが増えているそう。
「お客さんとして出会うのではなく、街で暮らす中で出会った人が、多様な関わりの中で、頼り頼られ、その先にしわく堂でも住まいの相談に訪れてきてくれる。そのような仕事のあり方がこの街に溢れていると日々感じます」
現在は、一戸建て住宅の設計などの物件サポートに加え、文化財建築の保存活用に関わる仕事にも携わっている。
「これまでは先輩のサポートとして関わるプロジェクトが多かったのですが、最近は任せてもらえる案件も出てきました。文化財建築の保存活用の仕事は、歴史や土地の文脈を丁寧に読み解く必要があるので、旅で身につけてきた視点が生きていると感じます」

三豊の市民大学「瀬戸内暮らしの大学」でつながった仲間たち(画像提供/瀬戸内暮らしの大学)
47都道府県を旅して就職先を探した経験を振り返りながら、「街を選ぶコツ」をたずねると、金子さんは少し考え込んだあと、こんなふうに話してくれた。
「“街を選ぶ”って言葉は、正直ちょっとおこがましく感じるところもあって。土地のことを知れば知るほど、自分が選ぶというより、出会ってしまう、引き寄せられてしまう、という感覚に近くなるんです」
旅をしていると、「行きたい場所」が自然と変わっていく。
例えば、寒くなってくると南へ、暑くなってくると北へ──。
「1年くらい旅をしていると、“そろそろ瀬戸内のあたりにいたいな”みたいな、動物的な本能がはたらくんですよね。私は寒がりなので、気づくと体が瀬戸内海沿いの街に向かっていたりして(笑)。移住って、社会的な条件をそろえる前に、そういう身体感覚としての“心地よさ”が出発点にあってもいいのかなと思います」
もうひとつ、大切にしているのが「ただいま」と「おかえり」が言い合える関係だ。
「旅を続ける中で、日本のあちこちに“ただいま”と言いたくなる場所、“おかえり”と言ってくれる人がいることの安心感をすごく感じました。これから移住を考える人にとって、その場所が“ただいま”と言いたい街かどうか。そして“おかえり”と言ってくれる誰かがいるかどうかは、ひとつの目安になるんじゃないかなと思います」
金子さん自身は、祖谷や三豊に何度も通う中で、すでにそうした関係性を育んでいた。
「知らない土地に移住する、と言っても、私の場合は先に“ただいまとおかえり”の関係ができてから移住しているので、正直あまり困ることはありませんでした。最初に話しかけたおじいちゃんやおばあちゃんが、今も相談できる存在でいてくれたりします」

祖谷でつながった人たちとの一枚(画像提供/山うらら)
実は、もともと金子さんは「地元の静岡で就職する」つもりでいた。
学生時代から静岡の街づくりに関わる活動をしており、地元の人たちと一緒に仕事をしていきたいと考えていたからだ。
「地元の方たちには、『そんなにここが好きなら、まず外へ出て勉強しておいで』と言われました。複数の人に同じことを言われたので、“一度外に出てから戻ってきなさい”と送り出してもらった感覚が強いです」
47都道府県をめぐる旅の中で、自分の考えや価値観にフィットする街を探し続け、出会ったのが三豊だった。
「いつかは地元に戻りたい気持ちもあります。ただ、今の自分にとっては、三豊で過ごす時間が何よりも大事だと思っています。ここで培った感覚や経験を、いつか地元で生かせたらいいなと」
そう話す表情は、「まだ旅の途中です」と穏やかに笑っているようにも見えた。

しわく堂のメンバーとの日常の打ち合わせのひと幕(画像提供/しわく堂)
条件を優先して、住みたい街ランキングの上位から選ぶ。
そんな「街の選び方」から少し視点をずらして、まずは自分の身体が心地よいと感じる空気感や、「ただいまとおかえり」が言い合える関係を育める場所を探してみる。
47都道府県をめぐる旅と、祖谷や三豊での出会いを経て、「建築だけ見ても建築はつくれない」と気づいた金子さん。
その視点は、「仕事だけ見ても、その街の暮らしは見えてこない」というメッセージにもつながっているように感じられた。
地方移住やU・Iターンを考えるとき、私たちはつい「条件」を並べてしまいがちだ。
けれども、大学2年に始まった1人の建築学生の旅は、「条件よりも人や空気で場所を選ぶ」という、もうひとつの選び方があることを教えてくれる。
自分が「ただいま」と言いたい街はどこか。
「おかえり」と迎えてくれる人の顔が浮かぶ場所はあるか。
そんな問いから、あなた自身の「街を選ぶ就活」を始めてみるのも、悪くないかもしれない。

(画像提供/阿部裕紀さん)
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