2025/12/20 07:19 up
初めてヘリコプターに乗ったとき、
足元に広がる街並みに、
心が破裂しそうでした。
まるでおもちゃ箱から
取り出して並べたように、
定位置に配置されているのです。
また、海岸線の形は、
地図で見慣れているのと
まったく同じでした。
「あっ、これが
いつも暮らしている場所なんだ」と、
気づくまでに少し時間がかかりました。
一戸一戸の住宅には、
それぞれの家族の暮らしがあります。
そしてまたその中のひとつには、
私も、暮らしているはずなのです。
はるか上空から見下ろすと、
街はまるごと驚づかみにできるほどの
ちっぽけなものでした。
そんななかで渦巻いている、
怒り、妬み、中傷、
そして、苦しみ、悲しみ、悩みが
急にちっぽけなもののように感じました。
渦の中にのまれているときは、
「何とかしなければ」ともがき、
藁をもつかみたい思いで
ジタバタしていたはすなのですが、
離れて見つめることは、
こんなにも淡々と
ありのままを見ることができる
ことに気づきました。
貴重なヘリコプター体験でした。
私は「ワープする」とよく言います。
何かトラブルがあったとき、
相手のせいにしたり、
言い訳をしながら避けて通ったり、
投げ出したりしたりしがちです。
しかし、まずは一瞬でも立ち止まり、
自問自答することが大切です。
「自分はどうすべきか」と…
そのためにも、渦の中にいたままでは
どうしようもなりませんし、
また偏った考え方しかできません。
だから、ヘリコプターの時のように、
離れて見ることが必要です。
世阿弥のいう「離見の見」です。
世阿弥のいう離見とは、
「客観的に見られた自分の姿」のことです。
すなわち「離見を自分自身で見る」
ことが必要だといっています。
学生時代から、知識として
頭の片隅にはあったように思います。
でも、その頃に感じたであろうことと、
今は、違う響きがあります。
その違いは、何なのかと考えました。
きっと、人生経験という名の
重みと深さではなかったかと感じました。



