2026/01/12 05:43 up
「斎藤一」 新撰組
幕末を斬り抜けた最後の剣士
1844〜1915
殺しの影には、斎藤あり。
刃向かう者は一刀のもとに斬り捨て、
沖田総司、永倉新八と共に最強の名をほしいままにした男の生涯。
無口で長身痩躯の風貌は、隊内でも異彩を放っていたという。
創設メンバーとして最後まで生き抜いた斎藤一が求めた「男の座」とは何だったのか
【無外流】
壬生の狼を飼う事は 何人にも出来ん
「るろうに剣心」
【経歴】
弘化元年(1844)江戸生まれ。
明石藩・元足軽の父、山口祐助は江戸に出て御家人となり、斎藤姓になる。
新撰組では三番隊隊長として数々の暗殺を手掛けた実務者としての顔が著名。
山口次郎、一戸伝八と次々に変名し、維新後は藤田五郎と名乗った。
【其の一】の2
剣一筋の狼「新撰組入隊」
斎藤一というストイックな求道者が近藤勇、土方歳三たち天然理心流の面々と知り合ったのも運命だったのだろう。
武士としてのこだわり、最強へのこだわり、とにかく試衛館の人々とはウマが合いました。
いつしか斎藤一は道場の馴染みとなり、日中の稽古が終われば、永倉新八たちと
「何としても幕府を守らねばいかんよ」などと国事を議論するようになった。
文久2(1862)、斎藤一は思わぬことから江戸を出奔せざるを得なくなります。
些細な言い争いから人を斬ってしまった。
父の祐助は、京に住む旧知の吉田某(なにがし)に息子をかくまってもらえるように手配しました。
さらば江戸・・・
斎藤一は吉田某が営む道場に向かいました。
天が斎藤一を京に呼び寄せたのだ。
なお、この道場で斎藤一は代師範を勤めている。
改めて剣腕の程がうかかえる。
時を同じくして江戸で浪士組の募集が行われていた。
1も2もなく3月の壬生浪士組(新撰組の前身)旗上げに加わります。
会津藩預かりの身分を得た新撰組は 藩主・松平容保(かたもり)に拝謁し、斎藤一は永倉新八との模範試合の披露を命じられる。
近藤勇、土方歳三は(当代きっての達人である斎藤一と永倉新八なら間違いない)と判断したのでござる。
果たして試合は周りの人間を唸らす好勝負となった。
松平容保の眼鏡に適ったのか、新撰組は将軍 徳川家茂(いえもち)警護の列に加わることを許される。
一介の剣客だった斎藤一の感激はどれほどのものだったのであろう。
斎藤一と会津は切っても切れない縁は、ここで結ばたのである。
次回、「油小路の変」にござる。
痴熟歴女
ダラダラと長文は続きまする。
ダラダラ、ダラダラと、すまぬ。
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