2025/12/08 06:23 up
🍙🍥 痴熟歴男殿 おはようござる。🍙
お楽しみくだされ〜
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「沖田総司」
Souji Okita
1844〜69年
誰も勝てなかった、夭折の天才剣士
「おれは二度と泣かないぞ」
童門冬二『沖田総司』
天才の名を欲しいままにした試衛館の師範時代。
そして、新選組での数々の活躍。
子供と遊んだかと思うと、何人もの浪士を冷酷に斬り捨てる。
任務のみ忠実で、死ぬまで自らの利のために剣を振るうことのなかった男
沖田総司に迫る!
『天然理心流』
【経歴】
弘化元年(1844)6月1日、
奥州白河藩士である沖田勝次郎の嫡男として、
江戸麻布奥州白河藩邸て生まれます。
幼名は宗次郎(惣次郎)
名は春政のち改めて房良(かねよし)。
父の死とともに沖田総司は白河藩士の身分の相続権を失った。
幼い沖田総司は姉のミツに育てられ、
9歳のとき家計の苦しさから天然理心流 試衛館に内弟子として住み込むこととなります。
【其の一】の3
天才剣士(道場時代)
そんなある日、試衛館に北辰一刀流の他流試合の申込者がございました。
近藤勇は席を外している。
塾頭の沖田宗次郎は、申し出を受けることにした。
次々と門人が倒されていく中、ついに沖田宗次郎の番となります。
この若造なら簡単に倒せる。
剣客はそう思ったに違いありませぬ。
しかし、その次の瞬間に考えを改めざるを得なかった。
3本勝負のうち、沖田宗次郎はいきなり2本を先取したのです。するとその剣客は「参りました」と板の間に膝をつき、
「ぜひ試衛館に入門したい」と申し出たのであります。
ちょうどその時、近藤勇が戻ってきて、その男の入門を許可しました。
この男の名は、山南敬介(やまなみけいすけ)。
これが、近藤勇と並んで奥田宗次郎が慕うことになる山南敬介との出会いである。
近藤勇はこの宗次郎、後の沖田総司の剣術の腕を高く買っていた。
慶応元年(1865)11月4日付けで郷里の佐藤彦五郎に宛てた書状に、もしも自分が生還できないときは、
沖田総司を天然理心流・試衛館の五代目の後継者に、と書いているのです。
このことからも、沖田総司の剣術が天才的なものであったことは、疑う余地もない。
次回は、其の二・芹沢鴨暗殺にござる。
ダラダラと長文にござりまするが、
またダラダラと続きまする。
すまぬ。
痴熟歴女
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