2025/11/01 06:23 up
殿🩷おはようござる。
熟歴男殿、お楽しみくだされ〜
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新撰組「土方歳三」
Toshizou Hijikata
1835〜70年
死ぬまで闘い続けた本物の喧嘩師
『天然理心流』
江戸の片田舎で剣術修行に励む男は京に出て、
警備隊・新撰組を組織する。
次々と功をあげた裏には、常にこの男の戦略があった。
生涯闘いにのみ生き ほとんど負けることがなかったという喧嘩師。
血塗られた男・土方歳三の生涯とは?
「剣に生きる者は、ついには剣で死ぬ」
司馬遼太郎『燃えよ剣』
経歴
天保6(1835)武蔵国多摩郡上石田村で、
豪農・土方義惇の四男として生まれる。
名は義豊。
11歳のとき江戸 上野の松坂屋に行儀見習いの奉公に出されるが、実家に戻ってしまう。
以後、薬を売りながら近藤勇の道場で剣の腕前をあげ、頭角を現し始めた。
新撰組を組織してからは、数々の戦いに勝ち、最後まで戦場に生きました。
【其の四】の2
配線色の濃い中、土方歳三が守る二股口だけは孤高を守り、土方歳三はこの函館戦争におけるただ一人の常勝将軍であった。
土方歳三がわすか一個大隊で守っていた二股口は、10数日にわたって微塵も揺るがず、押し寄せる政府軍がことごとく撃退されたのである。
ひとえに、近代戦術を取り入れた勝利である。
兵も、この喧嘩師の下で、嬉々として戦っていた。
しかし、あまりに多く射撃していると、銃身が焼けて装填(そうてん)装置が動かなくなった者もあり、
彼らは熱くて手に火傷をおって皮が破れた。
それを見た土方歳三は、ふもとから水桶を100ばかり運ばせると、銃を水につけて撃たせました。
水冷式射撃戦という戦闘方法を編み出したのでござる。
「弾はいくらでもある。撃ちまくれ!!」。
そう言って陣地を回って鼓舞激励したのでござりまする。
土方歳三の最期
次回に続きまする。
まだまだ、ダラダラと続きまする。
ダラダラと すまぬ。
歴女
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