2025/10/10 05:34 up
Part 4
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三国志「董卓(とうたく)の騒乱」
略奪の戦火、洛陽に広がる
宦官勢力を一掃するため、外戚の重鎮何進(かしん)が都に呼び寄せた董卓であったが、
それは血に飢えた狼を引き入れる結果となりました。
クーデターに次ぐクーデター。
その直後に都を制圧した西北の狼。
この騒乱の経緯と意外な結末・・・・・
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【 其の四 】
「宦官誅伐の大殺戮(さつりく)と董卓の登場」
王允(おういん)が派遣した河南尹の属官 閔貢(びんこう)2が少帝と陳留王を救出し、洛陽に向けて引き返す途中で、ようやく駆けつけた重臣たちに出会った。
『三国志』董卓伝に付された注記の『漢紀』によると、ここのところは少し違っている。
すなわち、宦官たちが黄河に身を投げて亡くなったのち、
14歳(年齢には異説が多い)の少帝と九歳の陳留王の兄弟は、暗い中を宮中へ戻ろうとホタルの光をたよりに歩き続け、数理行ったところで民家にたどり着き、荷車で洛陽に戻りました。
いずれにしても、このとき少帝を迎えた重臣たちにまじって、何進(かしん)から上京を促されて、都についたばかりの董卓がいたのでございます。
『三国志』董卓伝によりますと、董卓は軍勢を率いて宦官たちを追い、少帝を出迎えて宮中に帰還したことになっている。
少帝は董卓の軍勢を見て泣き出しました。
重臣たちが「御前であるぞ、兵を退け」といったところ、
董卓はカッとなり「貴様たちは重臣の身でありながら、王室を救うどころか、国をめちゃくちゃにしてしまったくせに、兵を退けとは何ごとだ!」と怒鳴りつけ、そのまま帝に付き添って洛陽に戻ったと謂う。
道々、董卓は少帝に話しけたが、帝はおびえてろくろく受け答えもできない。
そこで弟の陳留王に聞くと、陳留王は事件の顛末を要領よく答えました。
董卓がほどなく少帝を廃して陳留王を帝位につけたのは、このときの印象であった。
次回、
「暴君 董卓の意外な業績と その人物像」
続きまする。
ダラダラと長文で、すまぬ。
しかし、ダラダラと続きまする。
痴熟歴女
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