2025/10/08 06:43 up
Part 3
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三国志「董卓(とうたく)の騒乱」
略奪の戦火、洛陽に広がる
宦官勢力を一掃するため、外戚の重鎮何進(かしん)が都に呼び寄せた董卓であったが、
それは血に飢えた狼を引き入れる結果となりました。
クーデターに次ぐクーデター。
その直後に都を制圧した西北の狼。
この騒乱の経緯と意外な結末・・・・・
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【其の三】
「宦官誅伐の大殺戮(さつりく)と董卓の登場」
大将軍何進の暗殺はたちまち宦官反対派の反発を呼び、何進の直接の部下はもちろん
袁紹・袁術たちも兵をくりだし、宮廷になだれこんだ。
袁術は宮殿に火を放つ。
この騒ぎのなかで、彼らは宦官の殺戮(さつりく)をはじめた。
髭のない者は巻き添えをくい、宦官とみなされ殺されました。
すべて宦官は老若を問わず殺されるため、宦官でない役人のなかには「自ら発露して、然る後ゆ免るるを得るを至る」と『後漢書』何進伝は記している。
証拠の男性自信を露出して、宦官でないことを証明し、やっと免れたと謂うのでござる。
このとき殺害された宦官は二千人以上に達したといわれます。
この騒ぎは『三国志演義』にも簡単に記されている。
追い詰められた宦官の首脳である張譲(ちょうじょう)、段珪(だいけい)たちは、少帝と弟の陳留王(ちんりゅうおう)を連れて、洛陽の北門から脱出し、黄河の渡し場に辿り着いた。
いうまでもなく、洛陽は黄河の南岸近くにあるのだ。
少帝と陳留王を宦官の手から奪い返すべく、重臣たちの追っ手がさしむけられ、逃げ場を失った宦官たちはおいおいと泣き出し、
次々と黄河に身を投げました。
次回に続きまする。
ダラダラと長文で、すまぬ。
しかし、ダラダラと続きまする。
痴熟歴女
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