2025/12/31 18:15 up
2025年を終える前に、
自分の中でまとめておきたいことがある。
それはなんと言っても、
大阪関西万博のこと。
私は今年
「万博」というものに
自分なりに向き合ってきたつもりで、
その自由研究(?)の過程で
考えたことの棚卸しをし、
振り返りつつ、消化するために
そこでの思考の痕を
形にしたいとずっと思っていたのだ…
思っていたのだ… じゃねーよ!
って感じかもしれないけど
そんなわけで今年最後の日記は
万博特集だ‼️
こんな年末に
私の写メ日記にアクセスしてしまったのが
運の尽き!ってことで
諦めてお付き合いいただこう🧚
◯あすか個人の万博記録
行った回数: 9月に2回、10月に1回
まわれたパビリオン:
11カ国+
コモンズA、C、D、F
夜の地球(日本系はこれだけ)
↑
この通り、
それほど回数を重ねたわけでもなく
訪問できたパビリオンも
それほど多くないのだけれど
自分が行けた範囲内で
感じたこと、考えたことを
記せたらと思います
「どこが良かった?」と聞かれて
最初に答えていたパビリオン
🇨🇳中国
これは個人的事情だけど
中国の文学や歴史、文化を研究する
環境に以前身を置いていた為
やはり中国のパビリオンは
関心高く見ている自分を発見。
この↑
パビリオンの入り口ひとつとっても
老子、礼記、論語、易経などの有名な節が
引用されたもので
「漢字を読める民族」日本人への
目線を(私は)感じました。
日本人の心を掴む、と言ってもいい。
日本の古典文学や
歴史の史料を読めば分かることですが、
中国の古典は基礎教養として存在し
日本の文化の形成に多大な影響を
及ぼしたものでもありますからね。
たとえばこれなんて↑
「日本の人達は読めるだろう」
という、
信頼さえ感じられてしまうほどでした
これをたとえば、
翻訳・解説が前提として必要になる
欧米の国に展示するのとは
文化的な文脈が違います。
日本では国語の授業でも
漢文を勉強しますから、
前提知として共有されている層が厚い。
日本の人間が学ぶ
一般教養という、
「前提」の上に成立した展示で
「日本人が見ること」を
相当意識したもののように
思われました。
(たまに国語の授業に
漢文不要論を唱える人がいますが、
なぜ漢文を学ぶ機会が
義務教育に存在するのか?をまず考え
日本の歴史と文化を
辿ってみてはいかがでしょう)
それは
文化的優位性のマウントとかではなく、
私には、
文化的交流や共有知
として捉えられました。
有朋自遠方来、不亦楽 乎
社会を見渡した時、
今これが私には、重く響きます。
写真は9月にちょいちょい載せたので
割愛しますが、
中国館は
殷の時代から
現代の宇宙開発など
最新技術の誇示に至るまで
網羅的な展示で、エンタメ要素もあり
なんでイタリア館やフランス館ほど
話題にならなかったのか分からない😭
(普通に人気ではあったけど)
そんなパビリオンでした。
顔真卿の書!
やばい、
中国館だけでこんなに使ってしまった
(しかもかなり端折ったのに)
もう無理かも…
万博のことを書くのは…
心が折れてきた…
(→続く)



