Ak様、11/30(日)はひまりと素敵な夜を過ごして頂きまして、ありがとうございました😊
お部屋の扉を開けると、鞄とアウターをさっととって頂き、とても紳士的な印象のAk様‼︎
と思いきや‼️ お部屋のテレビでホラードラマを流そうとしてたので、懇願してチャンネルを変えさせて頂きました笑笑
(変えたのがサバンナの動物たちを題材にしたネイチャー番組なので、まぁ絵的にはいいかな?😅)
ひまり、実はものすごく怖いものが苦手なんですよね。夏によく放送されるタ◯リさんや稲垣◯郎さんの番組も観れないほど苦手😰
なんでしょうね。観た後お風呂やお手洗いに行かなくなるのが嫌だから、一切見ないもうにしてます😤
まぁ、話はAk様に戻しますが、ひまりの弱みを見つけてニンマリしとるAk様ととりま乾杯です🍻
Ak様は檸檬堂で、ひまりはグレープフルーツサワーを頂きましたが、あくまで仕事中なので、二口程呑むだけで、あとは玄米茶飲んでました笑笑
てか、炭酸強めな飲み物でも、こんなに飲めないんですけどね😅
飲食を共にしつつ、Ak様の生い立ちや家族のこと。人間関係について、本当に深い話をされるので、なんだか初めてお会いしたとは思えない感じ

「その人が何を考えているのか」に意識を常に向くAk様の姿勢を会話から聞いて、Ak様の「優しさ」が少し分かったような気がします💕
出会ってすぐ上着を取ってくれたり、怖い話が苦手という部分を茶化すだけではなく、面白おかしく話してくれて、きっとAk様は「ひと」が好きな、でも悩み探求し続けている方なんだなって…

改めて、サバンナや自然の景色って心を打つ感動を与えてくれますよね〜✨
この中にも背の高い木や低い草木があり、地中深くに根を張る植物もいれば、浅い植物も生きています。
私は散歩などをしてて草を眺めているといつも思う。「なんで、植物たちは喧嘩しないのか」と。いや、実はいじめてますと言われたら驚かなですがね💦
でも、ある植物を枯れさせるまでいじめるということはないと思います‼︎
植物って違う性質や特徴を保持しながらも、競争するのではなく、「共生」して生きているように思えます。
そういった異なる性質同士の存在が間接的に助け合うことを「 促進作用」といいます🌲
背の高い木は強い風から他の植物を守り、根の深い植物は土壌を柱のように支えます。
一方、弱そうにみえる低木や草木は地面の表面を保護したり、早く枯れ木となるため土壌の栄養として重要です。
また、根の浅い植物は水分を地中深くに落ちないように、表面の水分量を保つ役割があります。
このように、高いも低いも、深いも浅いも、「違う」ことによる役割でもって、相互的に共存しとるんだなと考えられる😊
人間社会はしばしば「競争の場」として理解される。能力の高い者や成果を上げた者が評価され、そうでない者は周縁へと追いやられる。この見方では、一定の現実を捉えているが、それだけでは「社会の持続性」を十分に捉え切れていないだろう。
実際、社会では同じ空間にて多様な価値観や能力、立場をもつ人が長期的に共存することで成立している。
もし、社会が純粋な競争原理のみに従順するならば、最も効率的で強い人々だけが中心を占め、その他は排除されていく。
しかし、そうした社会は現実的に不安定になりやすい。人類が進化し、文明社会が存続してきたのは、完全から排除を避け、異なる役割や生き方を内包してきたからではないだろう。
ここで重要なのは、「共存」が単なる寛容や善意ではなく、「排除しきらない構造」として存在しているという点である。
人々は同じ「社会」に生きながらも、異なる形で資源や機会を利用している。競争を得意とする者もいれば、支援や調整、継続的な作業を担う者もおり、目立つ成果を上げる人が社会を牽引する一方で、日常を支える多くの役割が社会の安全を保っているのであり、これらは優劣の差異ではなく、「機能の違い」である。
また、社会における「小さな存在」や声の弱い人々は、変化や更新の契機となる。周縁からの問い直しや試行錯誤が、新たな価値観や制度を生み出してきた。多様性は効率を下げる要因として否定されがちだが、実際には社会の回復や柔軟性を高めるために重要な要素である。
共存という視点から社会を見ると、世界は同一の価値観や単一の基準で測れるものではない。人間社会における多様性とは、「誰が勝つか」を決めて競争するものではなく、「どれだけ多くの人が居続けられるか」を問う仕組みだ。
そんな「在り方」を草木は教えてくれているのかも、しれませんね〜
その後のイチャイチャも気持ちかったです💕ひまりもたっぷりイッちゃった😚