2025/12/04 13:29 up
つばきです✿
昨日ね、『落下の王国』を観てきてん!
実はこの映画、10 年くらい前からずっと観たいと思ってたの。
やっと、やっと…!!!
と言いつつ、どうせロングランしそうやなーって観に行くのを先延ばしにしてたのをめちゃくちゃ後悔しました😭
もっと早く観ればよかった!!この映画を観る前と後じゃ世界の見え方が違う!
どーーーしても感想を誰かに話したくて、皆様にぶちまけちゃう!笑
興味ある方だけでもよかったら読んどくれやす…🙇💦
『THE FALL』
邦題:『落下の王国』
監督:Tarsem Singh(ターセム・シン)
公開:2006(4Kリマスター:2025)
あまりにもビビッドなモノクロの世界で、スローモーションで描かれるのは本編物語のプロローグ。汽車の車体が黒く輝いて、そこから噴き出す煙はあまりにも白く重い。
叫び、睨み、泳ぎ、跳ぶ人間の筋肉をこれでもかと克明に映すこの最初の5分程度の映像で、とてつもない情熱を以てつくられた作品であることを確信できる。
脚本は本編物語とその世界を生きる負傷したスタントマンのロイが語るおとぎ話のふたつの軸で進行するが、全編を通してあまりにも色濃く"死"が漂う。
主に4ヶ国に亘り撮られた雄大な自然も、かの石岡瑛子が担当する芸術としか言いようのない衣装も、主人公アレクサンドリアの無垢な笑顔も、"死"を煌びやかにデコレーションしているに過ぎない。
しかしそのデコレーションの美しさと完成度の高さは、この作品を"良い/悪い"ではなく"好き/嫌い"の尺度でしか測り得ないレベルに達させるに充分であろう。
カットごとの色彩と構図の完璧さはまさに本編内のロイの台詞の通り"動く写真"である。
最初の映像で印象的なのは"FALL/落下"というキーワードに反して見上げるカットが多いこと。
橋の高さも空の広さも、この見上げるカットによってより強調され観る人の目線をスクリーンの更に上へ、更に奥へと拡張する効果を持つ。
モノクロの世界を一瞬にして色付ける演出が最も効果を発揮したのは間違いなく'39『The Wizard of Oz(邦題:オズの魔法使い)』であろうが、それから70年近く経ってからつくられたこの作品でも、その演出が否応なく観る人の心を掴むことが確認されたと云える。
オレンジの木を滑り降り本編物語の舞台である病院、そして主人公アレクサンドリアをなめらかに紹介するカメラワーク。118分という決して長すぎない上映時間の中で、本編物語とおとぎ話、ふたつの軸を最大限表現するために、本編物語のカメラワークはかなりタイトに無駄を省いて撮られている。
しかしそのタイトさに甘んじずセットとロケーションをたっぷり楽しませてくれるライティングとカットの多さ、ロングシュートの美しさ。病院の中で毎日を細やかに楽しみながら自らの人生の凄惨さをまだ知らない、幼いアレクサンドリアの鋭敏な感覚が画面いっぱいに表現される。
おとぎ話が始まると、まるで世界がここにしかないような感覚に陥る。あまりの完成度の高さ、説得力の強さによるものだ。
全ての色と光が画面の中で必然としてそこに在り、人物も生き物も植物も水も炎も完璧に調教され画面の中で正しく動く。
特に印象的なのはプロローグ映像から一貫してフォーカスされる人間の肉体だ。
分かりやすいフューチャリングとしてトルコのスーフィズムに端を発する儀式舞踊セマー、インドネシアの劇舞踊ケチャが登場するが、そのどちらもがおとぎ話の中で登場人物たちが"完全なる未知"と相まみえる瞬間に使われている。本編物語が、基本的には変容の少ない日常を過ごす場所である病院を舞台に進行することとの対比か。
舞踊の全てがそうであると云えるかもしれないが、セマーもケチャも人知を超える存在との繋がりを確認し表現するための踊りである。宗教的イデオロギーを注入する意図は感じられず、脚本との関連よりもヴィジュアル的インパクトとその躍動する肉体の美しさを、物語の転機を印象付ける要素として採用したものであると解釈できる。
(こぼれ話:'88『AKIRA(原作:大友克洋)』の劇中音楽で知られる芸能山城組が主軸とするパフォーマンスがケチャである。全国割とどこでも鑑賞の機会があるので、霊者が緑地で仲間たちと披露するあの演舞が気になった人は要チェック!)
垂直と平行の目線の動きへのこだわりは、製作に関わったDavid Fincher自身の監督作とも通じるものを感じる。
監督Tarsem SinghのCM監督としての経歴に納得するのは、映像の洗練度を高めることでより脚本やメッセージを印象的に魅せるための方法を数多く持っていることが明らかだからである。
物語が目まぐるしく展開する中とにかく画面とカットが贅沢に使われ、おとぎ話の世界に"無限"というキーワードを連想させる。しかし描くのはやはり、限りあることの代名詞であるところの命そのものだ。
脚本が進むにつれ映像も少しずつ"有限"を表現し始める。
不自然なカットが増え、ストップモーションやストロボ的なザッピングが登場する。全ての要素を駆使して世界全体が変容させられたのち、おとぎ話の終末にさしかかるとその違和感は頂点に達し本編物語との境界線は果てしなくぼやける。
それでも観る人を混乱させず、それどころかより情緒的な感覚を呼び起こされるのは間違いなく編集の巧みさが所以であろう。
ラストシーンの構成とメッセージは'88『Nuovo Cinema Paradiso(邦題:ニュー・シネマ・パラダイス)』と酷似している。
人生は悲惨で、人間は愚かしく滑稽で、現実にハッピーエンドなど存在しない。
しかしそれがなんだ。世界は美しく壮大で、未知を創造することの楽しさは我々に与えられた最大の歓びである。その表現の手段としての映画芸術に深い敬意と感謝を捧げる。
アレクサンドリアの最後の台詞を、幾度となく映画に救われ絶望させられ虜になって生きてきたちっぽけな私はそう受け取った。
書きすぎた!!!笑
ほんまにここまで読んでくれはった方、いはったら教えてください🙇💦
お礼に何かプレゼントしたいぐらい!笑
うちと映画の話してくれはる方は、ぜひ90分や120分で会いに来てください😂



