2025/12/26 05:52 up
たまに番組や動画で流れてくる
企画で、ん?となる瞬間がある。
外国人が財布を落とす。
日本人が拾って届ける。
「やっぱ日本人は親切ですね〜」
あの一連のやつ。
別に拾った事実が嘘やと言いたいわけじゃない。
(やらせもあるだろうが)
実際、落とし物が戻ってくる国なのも
事実やと思う。
でもあの語られ方には
どこか気持ちの悪いラベリングが混じってると感じる。
親切にした個人がいるだけなのに、
いつの間にか「日本人は〜」という
主語の大きな話にすり替わっていく。
それって本当に褒め言葉なんやろか。
女風の仕事をしてると
この違和感を感じる場面がわりとある。
「女風の人ってみんな優しいですよね」
「仕事だからできるんでしょ?」
たぶん褒め言葉なんやと思う。
でもどこかで同じ匂いがする。
優しくした瞬間が
「職業のテンプレ」に回収されて
人としての判断や感情が消えてしまう感じ。
でも実際は違う。
その日その時間その人を前にして
どう触れるか、どこまで踏み込むか
何を話さないか
毎回、ちゃんと考えて選んでる。
疲れてる日もあるし
余裕がない日もある。
それでも「今日はこの距離感がいいな」とか
「今は触れない方がいいな」とか
その場で決めてる。
それを「女風だから」「セラピストだから」
で片付けられると少しだけ心が置き去りになる。
親切も、優しさも
国民性でも職業性でもなくて
その瞬間の「人と人」のあいだにしか存在せえへん。
いつも完璧じゃなくていい。
できない日があってもいい。
だから僕は
「女風って優しいですよね」より
「今日の時間、なんか安心しました」
って言われる方が、ずっと嬉しい。
誰にも見せるためじゃなく
誰かを証明するためでもなく
ただ目の前の人とちゃんと向き合えた感覚。
それが残るなら
それで十分やと思ってる
Eveki



