東京の、大きな駅を歩く人たちは皆急いでいる。
でも今日の僕は急いでいなかった。
歩きながら、周りを見渡す余裕があった。
白杖をついて歩いている人がいた。
目的地に向かって探り探り歩いている…
のだったらよかったのだけど、明らかに困っている様子。
その場をぐるぐる回っていて、行き場を失っているように見える。
左から歩いてきた人がぶつかりそうになったタイミングで声をかけた。
「大丈夫ですか?」
「あ、あの…北口に行きたくて」
僕でさえ迷うような巨大な駅構内。
目が視えず、うろたえるのは当然。
北口まで一緒に歩いていきます、と提案した。
腕を軽く支え、ゆっくり歩く。
曲がるときは曲がりますよと言い、階段があれば階段があります、と言う。
障害を持つ人を見ると、自分とは違う人なんだ、と咄嗟に身構えてしまう。
とくに目の障害は外見にも現れ、ちょっと変わった容貌だったりすると反射的に怖い、と思ってしまう。
でもそんなことはない。
声をかければ自然に返事が返ってきて、
誰にでも似たようなことがあるように、ただ駅で迷って困っている人だとわかる。
あるいは耳が聞こえない人だったら。
声をかけても返事はないかもしれない。
でもスマホの画面に「お困りですか?」と書いて見せればきっとその人の力になれる。
紙とペンがあればそれを使ってもいい。
もし目も視えず、耳も聞こえない人だったら。
会話はできないかもしれない。
その時は、優しく体に触れてあげればいい。
敵意のないタッチは、「力になりますよ」というメッセージは、しっかり相手に伝わる。
そんなに難しいことじゃない。
その人もあなたと同じ。
何か、なんでもないことで困っているだけ。
僕たちに足りないのは手段じゃなく時間だ。
白杖をついて立ち往生するその人の
周りを足早に通りすぎて行く人たちを見て
この人たちにもっと余裕があれば、と思った。
でも僕も、今日はたまたま心と時間に余裕があっただけで、
普段だったらその人に気づいてあげられなかったかもしれない。
気づけはしても声をかけるところまでできなかったかもしれない。
人助けをするのは、そんなに難しいことじゃない。
(人助けと余計な世話は違うので気をつけないといけないけど)
でも、そのための余裕を持つのはとても難しい。
何かに困っている?余裕がない?
あなたが誰かを助けられるように、
寂しさを余裕に変えられるように、
僕がまずあなたを助けてあげたい。
僕がそう思えるのは、
いつも僕に幸せをくれているあなたのおかげです。
ありがとう。