2025/12/23 18:00 up
道幅の狭い路地に惹かれてしまうのはなぜだろう。
街を歩いていると、建物と建物の間に大人ふたりがギリギリ並んで歩けるほどの路地を見つけることがある。
その路地の先に何があるかなんて知らないが、いや、知らないからこそなのか。
僕はふとその路地に足を踏み入れる。
ボロボロのごみ袋が積まれていたり、もうしばらく乗っていないであろう古びた原付が置いてあったり、たまに足元に目をやると、コンクリートの隙間からくたびれた花が覗いていることもある。
大通り沿いなどの、たくさんの人が歩くような道には、「誰かに見られること」を前提として作られたものしかない。
目を引く看板、仰々しい面構えの店、小綺麗な外観をした住宅。人に見られることを前提に、それらはそこにある。
でも路地はそうじゃない。誰かに見られることなんて考えていない。ごみ袋も、古びた原付も、くたびれた花も、誰かに見られるためにそこにあるのではなく、「ただそこにある」。
だからなのだろうか。僕が路地に惹かれるのは。
街をぶらぶら歩くのは好きだ。そういうときは好んで細い路地を歩く。
訳のわからないシールがベタベタと貼られた室外機、奇妙な落書き、煙草の吸い殻、高収入!の張り紙。繁華街にある路地は大体こんな感じ。あとは猫。
世田谷とか、吉祥寺とか、江ノ島とか、その辺りの路地はちょっと雰囲気が違う。建物が面白い。今はもうやっていない旅館らしき建物があったり、今にも崩れ落ちそうな不安定なところに建てられた店だったり、たまにパジャマ姿のお爺ちゃんが急に曲がり角から現れたり。たまに、人間の指も落ちていることがある。ごめん、今のは冗談。
ともかく、路地には不思議な引力がある。
なので、近所に普段は通らないような路地があったらちょっと覗いてみてください。
たぶん山田がいます。



