2025/12/20 21:47 up
短編『雨の日のタッチライン』
放課後のグラウンドは、いつも土の匂いがする。
スパイクが地面を削る音、ボールが弾く乾いた音、先輩の声。
それらの中に、最近ひとつだけ、気になる存在が混ざった。
マネージャーの彼女だ。
給水の準備をしている横顔。
タオルを畳む手つき。
ベンチの端で、練習メニューを真剣に見つめる目。
走っている最中なのに、
気づくと視線がそっちへ行ってしまう。
集中しなきゃって思うほど、
胸の奥がざわつく。
「はい、水」
差し出されたボトルを受け取る瞬間、
指が触れそうで触れない。
その一秒に、息を止めている自分がいる。
「ありがとう」
声が少しだけ高くなった気がして、
慌ててキャップをひねった。
彼女は、たぶん気づいていない。
俺が見ていることも、
そのたびに心臓がうるさくなることも。
ある日、空が暗くなって、
練習は急きょ体育館に変わった。
雨が屋根を叩く音が、
いつもより近くに聞こえる。
室内は湿っぽくて、
ボールの音が反響する。
距離が縮まる分、
彼女の声も、動きも、よく見えた。
タオルを配りながら、
彼女がすぐ横を通る。
肩と肩が、ほんの少しだけ近い。
「滑りやすいから、気をつけてね」
そう言われて、
「うん」としか返せなかった。
それ以上、言葉が続かなかった。
ドリルの合間、
壁際でストレッチをしていると、
彼女がメモを取りながらこちらを見る。
目が合った。
すぐに逸らされたけど、
胸の奥が、ぎゅっと縮んだ。
――見られてる。
そう思うだけで、
背中が熱くなる。
雨のせいか、空気のせいか、
理由はよくわからなかった。
練習が終わって、
体育館の外に出ると、雨はまだ降っていた。
彼女は傘を忘れたらしく、
軒下で立ち止まっている。
「一緒に、行く?」
勇気を出してそう言うと、
彼女は少し驚いた顔をしてから、うなずいた。
相合い傘。
肩が触れそうで、触れない距離。
雨音に会話が溶けて、
歩く速さだけが同じになる。
言いたいことは、山ほどある。
でも、今はまだ、言葉にできない。
校門の前で別れるとき、
彼女が小さく手を振った。
それだけなのに、
胸の奥があたたかくなった。
サッカーが好きだ。
走るのも、負けず嫌いなのも、全部。
でも最近は、
彼女がいる練習の時間が、特別になっている。
告白なんて、まだ先でいい。
雨が上がるみたいに、
この気持ちも、いつか自然に言える気がする。
次の練習も、きっと見る。
走りながら、
タッチラインの向こう側にいる彼女を。



