こんにちは♡
ひよりだよっ🐣💕
旅の記録日記です♡
今までのあらすじ。
東京駅ラーメンストリートでみそきんを食べて→浅草で🐷カフェ&参拝→品川の水族館→六本木の夜景→寝る→いまここ
帰還者たちの記憶ミュージアム(平和祈念展示資料館)に行って参りました。
きれいなツリーがロビーにある住友ビルの33階にあります。

ツレは小学生なので
学校サボって(小声)連れ出しているからちゃんと教育しようと思って(笑)
ツレ…甥っ子ちゃんは今京都在住なんですが
京都は文化財保護の観点から
あまり空襲の被害にあっておらず(確か1945年「西陣空襲」くらいかな…死者40
名くらいの…違ってたらすまん)
近代の戦争資料館などが都会の割に乏しいイメージなので
…
教育教育教育教育教育教育!と連れ出しましたが
わたしが教育教育教育教育!されました。
普通にちょうど放映していた
「零戦」の若者たちの手紙の映画にしょっぱなから2人で号泣..…
敵の陣地に突っ込めば5階級昇進するし家族と天皇陛下の名誉を守り、日本は勝つ!
何回学び直しても震え上がる
洗脳教育の恐ろしさよ( ;∀;)
また太平洋戦争については
8月が来る度に書物を読み漁ってはいるので知識は多少はあるつもりですが、戦争強制抑留者については勉強不足を感じましたね。
シベリアでロシア兵は
ロシア労働者と残留した日本労働者両方を虐めます。
ロシア労働者は日本労働者を虐め、日本労働者たちは日本労働者同士の思想で派閥を作りスケープゴートを作り虐めをします。
人間、まったくロクでもなさすぎ…というとこまでは知っていたのですが、希望もきちんとありました。
労働者たちは、物を手作りすることで自分を慰めていたのです。
手製のスプーンや、革袋を作り実用性だけでなく装飾も施して(家族の名前や故郷の花を彫ったり刺繍していました)
芸術で自分を救うことができるのは人間が人間たる証明だと思います。
はっ!長くなってしまいましたが、
このような戦争に対して思い巡らす気持ちに残念ながら持続性はいつもありません。
寝てしまえばまたいつもの生活に追われるのですから、それが普通でしょう。
でも、太平洋戦争について「東條英機は本当にA級戦犯なのか?」「ハルノートを飲んでいたらアメリカは石油を売ってくれたのか?」など一つとっても、いろんな論文考察が出ていますので、勉強はずーっと続けていき、忘れないことが大切ですね。
戦史検定も中途半端なとこで止まってるので
本腰入れてやっていこうかな。
そしてできたらそれらを仲間とみんなで話したい。甥っ子ちゃんやこどもたちに伝えていきたい。
いろんな思想を知りながらも世論に左右されることなく情報を淘汰し自分なりの考えを固めて平和を信じることが大事だと思います♡
ここまで読んでくれて
聞いてくれてありがとう。
吐き出したかったんだよね。